2003年3月26日 レインボーポストの想い出

 213号棟の集会所のわきにひっそりとたたずむひとつのポスト――。レインボーポスト。定例会やレインボーキャンプのたびにレインボー新聞につけられた出欠票を投函するポストとして、いまでもよく使われています。
 僕がこのポストをつくったのは小学4年生の夏。夏休みの工作の宿題としてつくりました。あれからもう14年。14年ものあいだ、いろんな人の思いがこもったいくつもの紙を飲み込んできたかと思うと、少しドキドキします。

 このポストをつくった小学4年生の夏は、僕(たち)がはじめて少年少女センターのキャンプ(少年少女キャンプ村)に参加した夏でした。その時はまだ、八王子で「村」をつくることはできず、小平の村で一緒に行きました。小平というところは少年団がさかんなところで、いくつも少年団があります。自己紹介のときに「○○少年団の△△です」とみんな言います。「少年団ってなんだ??」と幼心に思ったのを覚えています。
 はじめてのキャンプは何もかも新鮮でした。年が離れている人同士があだ名で呼びあったり、部屋全体が振動するほどギターとタンバリンにあわせて大声で歌をうたったり…。不安と期待がいりまじったような気持ちでむかえた当日の4日間はそれはもう過酷なものでした。当時はまだ小学1年生から3年生は学童村だったので、村では小学4年生が最年少。1回の食事をつくるだけでも2時間から3時間はかかる! 遠くまで食材をとりに行き、水を汲んで、野菜を切って、米をといで、薪をひろって、火をつけて、やっとできたと思って食べ終わったら片付けがあって…。おまけに天気がどんどん変わる。2日目は避難するほどの台風で、雷の光と音にあれほど恐怖を感じたことはあとにもさきにもありません。
 過酷な生活でしたが同時に、額に汗しながら仕事をし、臆することなく自然に立ち向かって班や村をまとめひっぱる同じ班の年上の人たち、村役や指導員の人たちの姿に強い憧れを抱きました。たのもしい仲間にかこまれて「自分もその一員なんだ」という安心感と自覚、「みんなで力をあわせれば何でもできる」という自信と手ごたえを感じました。3日目の夜の大キャンプファイヤーでその思いはさらに強くなります。巨大な炎をかこんでのあの振動、一体感は実際に参加した人にしかわからないすごさがあります。台風で自然の凄まじさをみせつけられたあとだけに、それに立ち向かってみんなで力をあわせてやりぬいたという達成感と最後の夜という開放感は格別のもので、それが大キャンプファイヤーのエネルギーの源なのだと思います。そしてふと空を見上げると満点の星空。「天の川というのはこういうのをいうんだな」と思いました。その頃読んだ宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のはじめの部分はこういうことなんだと言葉ではなくて実際に見たものとして納得できました。「曇や雨のときもあれば、晴れのときもある」などとよく言いますが、文字にすると右から左へスルリと通り過ぎてしまうこの言葉が実体験として身体に刻まれることがキャンプの魅力のひとつだと思います。

 なんだかキャンプの話になってしまいそうですが、こういうキャンプに参加して、まだ小さかった僕ですら強烈なカルチャーショックをうけ、「あんなふうな仲間や集団が夏が終わってもあるなんてうらやましい」「自分たちのところにもほしい」と、ささやかな憧れを抱いたのですから、僕よりいくつか年上の人たちが、もっと強くはっきりと少年団を作りたいと思うようになったのも不思議ではありません。もっとも少年団といってもはっきりとしたイメージがあったわけではなくて、「キャンプで覚えた歌をみんなで歌いたい」とか「キャンプで覚えたゲームをやりたい」とか「自分たちで企画してキャンプをやりたい」とかそういう思いだっただろうと思います。その当時でも地域のおとながつくった「子供会」とか「緑の丘クラブ」などと名づけられた子どものグループはありましたが、「自分たちでやりきること」を意識するようになったのはやはりこの夏のキャンプに参加してからだと思います。こうして、この年の秋に少年団が結団されます。

 話を元に戻すと、僕がレインボーポストをつくったのはまさにそういう夏でした。キャンプ当日が終わったあとは、過酷なキャンプをやりとげた達成感(なんだかたくましくなったような気がした! 「これが成長というものなんだろうな」と思った!!)と身体全体に残るキャンプの余韻を楽しみながら、歌集をひらいてはお気に入りの歌を口ずさむ毎日…。さらに夏祭りの太鼓やお店をやったりしてすっかり夏休みを満喫したあと、8月ももう残り2日というところになってはじめて学校の宿題のことを思い出しました。これは何もキャンプのせいではなくて、生まれてこのかた夏休みの宿題が8月31日より前に終わったことがありません(後ならあるけど…)。こんな調子なので工作の宿題も何をつくるか考えているわけなどなく、当時、何かの出欠をとるごとに誰かのうちのポストを利用していたので、これからはやはり自前のポストが必要だということでまわりにのせられ、ポストならただ箱に穴があいているだけで簡単に作れそうだという打算もあって、作ることにしました。
 さっそく親とムラウチホビーに材料を買いに行きました。僕は最初は厚い板を買って四角い箱を作ればいいと思っていたのですが、母はおそらく厚い板は値段が高いと感じたのでしょう。箱の内部に四角い柱を立ててそこにベニヤの板を貼り付けることを考えついたようでした。2cm四方の柱となる四角の棒とそんなに大きくないベニヤの板1枚ですから分厚い板を買うよりはなんとも安上がりな買い物だったと思います。
 家に帰ってから作り始めたのですが、限られた材料でどのくらいのものを作るか(作れるか)考えるのが難しい。なにしろベニヤ板は一枚しかないのでうまくとらないと作りきれないことになります。設計図を描いて綿密な計算をしてのこぎりで切り取っていきました。ポストの入り口の穴をあけるのに「糸鋸(いとのこ)」という道具があることもこのとき初めて知りました。
 作業はすべて順調に進んでいるかにみえましたが、ようやく形になってきたところで「ハッ」と気がつきました。綿密な計算といっても、やはりまだ小学4年生ですね(いや4年生だからじゃなくて僕だからかも…)。屋根になる部分の板が必要なことをすっかり忘れていたのです。ようやく完成というところまできて、うえの部分がすっぽりあいた惨めなポストをみつめながら悔やんでも悔やみきれない失敗に自分自身を激しく責めながら呆然としていました。しばらくして、これからまだ色も塗らなきゃいけないし、もう板を買いに行く時間はないから(その日はもう31日だった!)、悔やんでも仕方がないと思い、家のなかで何か代わりになるものを探しました。そこで目についたのが、「そうめんの箱」です。そのふたを合わせてみると大きさもぴったりです。これならできると思いさっそく打ちつけました。そうめんの箱というのはヤワな素材でできていてちょっとの衝撃でヒビがはいってしまうのですが、この際それは我慢です。最後に赤いペンキで色を塗って完成です。「よかった〜。間に合った。さぁこれから絵日記を書かなきゃ!」
 屋根の部分がヤワなそうめんの板になってしまったことは悔やんでも悔やみきれない失敗で、集会所でレインボーポストを見るたびにそのことを思い出しますが、いまでは逆に微笑ましくも思っています。
 学校から再び戻ってきたポストは少年団の結団とともに213号棟の集会所におかれ、もちつき大会の時に地域の親父さん方が足をつけてくれて、いまのような姿になりました。心配性の僕は誰かに壊されやしないかと内心不安で、最初のころは何度かひとりで見に行ったこともありました。最初のころは錠をかけていましたが、そのうち面倒くさいのでやめました。こうして月日はめぐり、レインボーポストが地域の景色のなかにだんだんとなじんでくるようになりました。
 そんな折、たしか小学校5年生か6年生の時です。ひとつの事件がおきました。レインボーポストのなかに鳥が巣をつくったのです。入り口から除くと白くて丸いきれいな卵がみえます。ポストの役目は果たせなくなりましたが、自分がつくったポストに鳥が巣をつくってくれたと思うと、とてもうれしかったです。さっそくどんな鳥か調べるために、学校の図書室で鳥の図鑑をひらきました(確か「学研」の図鑑)。調べた結果、巣をつくったのはシジュウカラだとわかりました。広くに生息している鳥だということと、巣穴の幅が2.5cmだということが決め手でした。自分でつくったので確かに覚えています。ポストの入り口の幅は2.5cmです。それにしても巣箱をつくってもなかなか鳥が入らないのにポストに巣をつくるなんておもしろいことです。もっともポストに巣をつくった場合、みんなが見ようとしてどうしてもザワザワしてしまい、その結果、残念ながら親鳥が子育てを放棄してしまうことが多いようです。ポストの入り口を狭めるか、新しく作り直して、巣をつくらないようにすることが必要だと思います。その時は、ぜひ一緒に巣箱を作って林にかけに行きましょう。

 つくられて14年。レインボーポストは、足をつけてくださったお父さん方、たびたび色を塗りかえたみんなのみならず、少年団の14年の歴史のなかで育てられてきたものです。ポストを作ったドラマがあるように、出欠票を出しにきたとき、出された出欠票を取りにきたとき、それぞれにドラマがあるのだと思います。そんなことに思いをはせながら、たかだかポストが地域で人と人をつないできたというのは大げさかもしれませんが、いまポストを作って本当によかったと思います。いまはインターネットが普及して人と人とがつながるまったく新しい可能性をひらいていますが、ポストを作り、育てるなかに確かにあった学びや成長のドラマを考えるとき、その経験はしっかりくみとる必要があると思います。みなさんとともに考えていければと思います。
(こ→へい)